今日の自分と昨日の自分

アダルトチルドレン(?)である自分の考えごとの日記です。

親への思い

 自分にとって親とはなんだろう。親に感謝するとするならば、お金。ただそれだけ。別に他の誰かが養育費を払ってくれるなら、別にいなくてもいいという感じ。お金を自分に投資してもらう代わりに、勉強やスポーツで結果を出すという関係性を感じる。

 今まで親に精神的な面で頼ったことはない。あらゆる選択をする際に相談したことがない。何でだろう。頼りにならないと思ったのか、迷惑をかけてはいけないと思ったのか。母親の面から考えると、中学からいろんな面でダメだしされてきたから、自分のことを話したくないと思っていたからだと思う。そして父親の面から考えると、父親のコンプ持ちから頼りにならないと考えたから。

 今現在、いろんなことを相談したい、今後相談したいかというと、ありえないのかな。まず父親は頼りにならない。そして母親は推測で物事を話す傾向があり、的外れになる。ともに当てにならない。一般的に、家族というコミュニティーを持たない、捨てるという選択は非常に損だと思う。前述の物事を相談できるという機会、人間関係形成の機会などのそういったものを捨てることになるからだ。そう考えると、周りのうまくいっている家庭がうらやましいなと感じてしまう。大学に入ってから、人間的に尊敬できる人々に出会った。自分もこのような人になりたいと感じた。このような人が親だったら、よかったのになと。人間誰しも、長所を持っていて、尊敬できる部分があるはずなのに、親からそれを感じない。嫌いだから、見つけられないのか、ただ持っていないのかわからない。

 ぐだぐだ親への愚痴を書いてきた。自己嫌悪になるね。もちろん、祖母による家庭不健全化がこれらの問題の原因かもしれないけど、両親ともに人としての弱さを感じる。

 父親については、家庭面では祖母を捨てることができなかった弱さ、仕事面では周りを頼ることができなかった弱さだ。正直、不器用な人間であると思う。彼にとって、何が一番大切だったのだろう。

 母親については、父を捨てることができなかった弱さもしくは父ときちんと向き合えなかった弱さだ。どちらかの選択をすべきだったと思う。中途半端な選択をし、中途半端な結果となったと感じる。

 もちろん二人ともに、子供2人という存在がいたから、現在に至る選択をしたのは、理解できるが、結果として最善だったのかというと、どうなのかと思う。子供を尊重するよりも、2人自身を互いに尊重し合うべきだったのではないかなと思う。お互いを尊重し合えない関係性だから、父母の不仲といった問題が起きたと思う。別に祖母の存在がなくとも、父母の不仲、家庭の雰囲気の気まずさは生じたのではないのかなと思う。

 「なぜ、二人はきちんと話合いができなかった」と家族会議で尋ねた。父は「人間だから、しょうがない。お前はロボットみたいだな」とキレられた。その時、この人に失望した。

 上記が親に思うことである。まとまりのない文章であった。